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妖怪新聞
妖怪新聞:■全12件、■最新2010年02月24日更新
明大の死神その2
2010年02月24日
  今回、とっても魅力的な日本酒が入荷した。 小豆洗いの生バージョンその酒だ。
年間500升限定、美山錦精米55%、生酛造り、純米原酒 、そして完全生。日本酒ファンなら一度飲んでみたい酒ではないだろうか。
上品な酸味と、質の高い米の旨味が融合し、酒単独で良し、料理に合わせて良しの、非常に広いフィールドで楽しめるものと感じた。

この酒を飲みつつも、前回からの続きを語りたいと思う。

仲澤はその日から「死神さん」と皆から呼ばれるようになり、それらの状況を利用しながらも、オカルトやホラー好きな女性にナンパ目的で近付き、この方向では非常に精力的に動き回っていた。
彼もなかなかやるなと私達も少々感心したのであるが、その立ち昇る不気味さとともに、ある種の悲愴感のようなものも感じられ、まるで絶滅寸前の種族がそれの維持の為に種族保存行為に走っているような異様なイメージがそこにはあった。
彼と長い時間を過ごす内に、その薄気味悪さにだんだんと慣れ、通常の人と付き合うような錯覚に私達が陥っていたある日のこと、その出来事は起こった。

当時、私は杉並区の浜田山という所で下宿をしており、新宿で開かれた飲み会が長引き、終電に間に合わず、同じ方向の仲澤と歩いて帰る事になった。
新宿という所は、夜中でも人に溢れ賑わっていたのだが、そこから離れると徐々に人通りが少なくなり、気が付くと全く人が歩いていない道を、とぼとぼ仲澤と歩く事になってしまった。
その途中、細い十字路があり、そこを左に曲がろうとした時、30m程先であろうか、一匹の痩せこけた犬が仲澤を見、じっと佇んでいた。

その目はまるで強力な磁力に引き付けられたかの如く仲澤に張り付いたままであった。
仲澤はというと、やはり彼もその犬を凝視し、暫くの間、彼と犬は30mの距離を置き、睨み合った。
2、3分後だろうか、はっと我に返った犬が、キャン、キャン、キャンと、深い恐怖に囚われたかのような叫び声を上げ、その場からすごい勢いで走り去った。
その犬は、仲澤の何を見たのであろうか。改めて、私も彼の得体の知れない不気味さに戦慄を覚えた。

それから2週間後、仲澤を含めたサークルの仲間数人と、新宿のデパートにあるペットショップへ入った時の事である。
そこには、犬、猫、小鳥等の可愛らしい動物が沢山いて、私達を非常に和ませてくれた。
中でも、店の真ん中あたりで柴犬の子を触れるコーナーがあり、私達も次々と子犬を撫で、子犬も尻尾を左右に激しく振り、最大の愛嬌を振り撒いていた。
ところが突然異変が起きたのである。
あれほどフレンドリーだった子犬が、後ずさりしながら牙を剥き、ウーッと彼としては最大の威嚇体制に入っていた。
見ると、やはり仲澤が子犬を触ろうとしている。この犬の状態に、流石の仲澤も恐れをなし、退いた。
その後、他の者がその子犬をチョコチョコやり出したのだが、子犬は何も無かったかのようにピコピコ尻尾を振る。それに便乗して仲澤も手を出したが、犬はまたしてもウーと威嚇する。
私達はこれを見て、「人間の女だけでなく、子犬からまでも嫌われているな~」と、大笑いしたのであるが、仲澤といえば、いつもの空虚な中にも一種の寂しさを漂わせていた。
私はその時、死んだ祖母から聞いた言葉を思い出した。

「犬とか猫とかは純粋だから、人間には見えないものが見えるんだよ」と。

明大の死神
2010年01月19日
  今年の正月は、仲間と北杜市白州町にある名も無いような山に登り、極寒の中、芋焼酎で乾杯した。その酒は「もぐらヌーボー」。
無色のワイン瓶におさまった透明な液体は、山の冷気に浸り、極めて魅力的な時間を私達に与えてくれた。
スルッと入るスマートな口当たりながら、後から押し寄せるフレッシュな芋の地力が口いっぱいに広がる。飲んだ者達は一様に押し黙り、暫くしてうごめくように1人の者が呟いた。「う、うまい」。これを皮切りに、参加者5人絶賛の嵐。
山登りで疲れた体を優しく包むような癒しを与え、仕事のストレスで病んだ心を修復してくれるような気分になった。

このような至福の時に浸りながら、また過去に出会った恐るべき男の事を思い出した。
これも30年以上前の、私が大学生の頃の事である。

私が通っていた明治大学という所は面白い男が多く、個性的なキャラクターの持ち主が揃っていた。私は法学部の10組という所へ振り分けられていた。
通常、他のクラスの情報はなかなか入ってこないのだが、あまりにも極端な個性を持つ場合、あるいは体育会系のスターというような場合は、私達のクラスでも話題になる事があった。
入学して半年位経った頃であろうか、風の噂で極めて不気味な男の話が伝わってきた。その男の名は仲澤孝一、6組に在籍する者と聞く。
クラスの友人の又聞きであるが、曰く、日光が照る時間帯でその姿を見た者はいない。曰く、天草四郎の生まれ変わりで魔界転生と呼ばれている…と。聞く話は、出来るだけ交流を持ちたくないと思わせるものばかりだった。

そんなある日、私が属している法律サークルに、新しいメンバーが加わる事となった。勉強会が開かれるゼミ室に私がやって来た時には、既にいつもと違う不気味なオーラが部屋中に充満していた。
見ると、ゼミ室の奥に見慣れない男が座っていた。背は175cm前後だろうか。細身で青白い肌をしており、どちらかと言えば美形の方であるが、絶対に人には好かれない、禍禍しい瘴気を放っていた。
メンバーも揃い、サークルの幹事長が件の男を皆に紹介した。
「仲澤孝一君だ。彼の実家は東北で豪農をしているという話だ。みんな仲良くやってくれ。」
私はその名を聞き、非常に陰鬱な気分に襲われ、何か踏み込んではいけない、タブーを犯しているかのような思いに囚われた。
その日、勉強会が執り行われたのだが、いつもの盛り上がりが無く、まるで葬儀に参列したかのような後味の悪さを感じた。仲澤といえば、終始無表情で一言も発せず、何のために参加したのか、その心の内は掴む事は出来なかった。
その後、私達のサークルでは不幸な出来事が連発した。原因不明の病に罹る者、お父さんのビジネスがうまくいかなくなり、学校を辞める者、彼女に振られた者、抜け毛が増え、頭髪が薄くなった者、等。また、野球、ラグビー等、スポーツで全国を制覇した明治であったが、この頃から勝てなくなり、野球では東大以外に負け、ラグビーでは早稲田に負けることは勿論の事、はるか格下の大学に苦杯を嘗める。勉学の方では、司法試験合格者が、全国ベスト5から、急に12位くらいに下がる。
その頃、私達は、明治はどうなってしまったのかとよく話し合ったものだった。

それから暫くして、友人の松崎柴男(「日本一の悪口男と悲しき死霊」参照)の提案で、彼のガールフレンドが女友達を数人連れて来るので、明治のモテない男数人を呼び、合同コンパをやろうと持ちかけてきた。
明治という所は当時、女生徒が非常に少なく、早稲田・慶応に比べ、女子大生に人気が無い為、女日照りの男達がキャンパスに溢れていた。それが為、サークルで、次の日曜、合コンをすると呼び掛けたら、速攻で数人のメンバーが集まった。
この男達から立ち昇るヤル気と、何ものにも迷いの無い断固たる目の光を見た時、この者達からは、女性と仲良くなる為なら、槍が降ろうが地の果てであろうが、必ず行くであろうという強い決意を感じた。

待ちに待ったその日、お茶の水にある飲食店がそのコンパ会場となった。そこには、誇らしげに彼女を紹介する松崎、「明治の芋男なのかよ~」という明らかに不満の気を漂わせている女性達、そして、これから早稲田と一戦交えようという明大ラガーメンさながら気合の入った私を含めた男数名が、一同に会した。
その時、その場に、一種異様なエネルギーが渦巻いているのに気が付いた。見ると、その店の奥まった椅子の所に、どす黒いオーラを纏ったあの仲澤が座っていた。多分、あの時の松崎の情報を聞き、やって来たのであろう。
その時、私達の予想として、その招かざる客は、いつものように寡黙に佇むだけだろうと予測していたのだが、それは大きく外れた。仲澤はその日とても情熱的に動き回り、次々に女性に話しかけまくった。その姿はとても異様で、何かとてもイヤなものを見てしまったというような不快な気分に襲われた。
そして、よせばいいのに、仲澤は松崎の彼女の前に座り、ジィーっと彼女を凝視した。その姿はまるで視姦しているようなおぞましいもので、尚且つ、彼の発する口説き文句が決定的となってしまった。「ぼくは昔、自殺しようとして手首を切ったことがある」という言葉。
松崎はたまらなくなり、彼女にこう紹介した。「気持ちの悪いものを見せて悪かったな。ところで俺達のクラスには、10組の嫌われ者、村田という者がいるが、こいつはそんなに生易しい者ではない。彼は明大の死神と呼ばれている。」彼女はそれを聞き、キャッキャッと笑っていた。
松崎の言葉は私達の想いを代弁してくれたものであり、その日から仲澤は死神さんと皆に呼ばれ出した。

To Be Continue…
空手バカ一代 幽霊譚 その②
2009年09月23日
  この間、仲間達と、芋焼酎「つるさんは○○むし」を飲んでみた。
やはりうまい。
最上級グレードの赤芋で醸すだけあり、酒にうるさい者達を説得するだけのクォリティーを持っている。
フルーティーで飲みやすくもあり、また、深く本格的な厚みもあり、広範囲の飲み手を魅了する力量を感じた。
酒の神様、どうもありがとう。

この酒で、心地良い酩酊間の中にありながら、フラッシュバックのように、過去に出くわしたおぞましい記憶がまた蘇ってきた。
これもやはり大学時代の事で、前回同様、「空手バカ一代 幽霊譚」で出てきた工藤がらみのものである。

当時、私は商法のゼミに入っていたのであるが、そのゼミが終わった後、仲間達と近くの喫茶店に入り、たわいの無い話で盛り上がるのが常であった。
ある日、その仲間の内の一人、田中という者が、妙に深刻な感じで、ポツリとこうこぼした。
「実は、俺の住んでいるアパートに、幽霊が出るんだ。」
聞くところによると、彼はかれこれ2年、そこに住んでいるのだが、一週間程前から、決まって午前2時頃になると、洗面台の所に白い着物を着た総髪の男が現れるのだと言う。
その男は端正な顔立ちながら、能面のように無表情で、洗面所に備えているコップを右手で掴み、左手で蛇口を開けながらそれに水を満たし、田中の顔を凝視しながら水を飲み干し、フッと消えると言う。
そのあやかしが握っていたコップは、持ち手を無くし、後には、コン、カラン、カランと、プラスチック製のコップが床に落ちる音が響くだけという状態になるのだと言う。
田中は暗い表情で、「どうしたら良いんだろう…」と困り果てていた。
私はこれを聞き、怖いので関わりを持ちたくないと思う反面、ナイスガイである田中の事であれば、一肌脱がない訳にはいかないとも感じていた。
そこで私は田中にこのように提案した。
「このような事に、うってつけの男がいるよ。」
私はその時、霊的なものに一切ひるまない、工藤の事を思い出したのである。
そして、田中が工藤に夕飯をおごる事を条件に、後日、ヤツを彼のアパートに送り込む事にした。
工藤はというと、メシが食べられ、また何より合法的に他者に暴力をふるえるという事から、当然の如く、田中の所へ住み着く事となった。

ここからは田中からの伝聞であるが、工藤が訪れたその日も、例のあやかしは現れたのだそうだ。
例の者が、いつものように田中を無表情に見つめながら水を飲もうとした瞬間、それまで田中としゃべっていたむさい巨漢が、まるでバネに弾かれた様に、その者の所へ移動した。そして、野獣の如きその男は、空気を震わせるように「オシャ、オシャ、オシャ!」という気合と共に、強大なエネルギーを内包した左下段回し蹴り、右中段突き、左中段突き、右上段回し蹴りの連続攻撃を繰り出した。
しかし、それらの剛強な連続技はむなしく空を切るばかりで、その白面の者の姿は魔法のように掻き消え、後には水を床にぶちまけたプラスチック製のコップが転がっているだけだった。
その日はそれで何も無く、次の日、また次の日と、同じようにその男の幽霊は現れ、それに対し工藤は同じように連続技を繰り出した。
結果は同じで、残るのは、床に転がるコップのみということであった。
しかし4日目、幽霊が出た時、ソレは田中ではなく工藤を見、田中が言うには、明らかに不快そうな表情をしていたらしい。
そしてそれ以来、田中のアパートで怪異は起こらなくなったらしい。

後日談であるが、それから2週間位経って、田中がまた暗い表情で私に相談を持ちかけてきた。
何やら、工藤が居座っているらしいのである。
そこで私のアドバイスは、まずメシを食わせない事、そして工藤が嫌がる環境を造ることを勧めた。例えば、悪霊などは真言とか祝詞を唱えると逃げて行くが、工藤はアカデミックな状況が何より嫌いなので、そのような状況を作れ、と。
田中はそれから、アパートで友達と法律議論をしたり、英会話の勉強をしたりした。そのような日々を過ごしていたら、自然と工藤はいなくなったという。
空手バカ一代 幽霊譚 その①
2009年04月16日
  当店では、辛口の日本酒では「かまいたち」が一番好きだという人が多い。
そのような事もあり、私も「かまいたち」は注目している酒の一つであるが、その中で今回、「かまいたち」生原酒バージョンが入ってきた。
一言、パーフェクト。バランスの良いコク味と爽やかさ、キレ味の見事さ。辛口純米酒の理想をこの酒に見た。単独で飲んで良し、料理と合わせても良し。このような酒を飲むとウキウキしてくる。

とても晴れ晴れとした中、それとは真逆の、過去に体験した身の毛もよだつ出来事を思い出した。


この話は、私が大学へ入学した頃の話なので、もうかれこれ20年以上前の話である。
入学後、初めてクラスのメンバーを見た時、一人、異彩を放つ男が、他を寄せ付けないように佇んでいた。
多くの者達は希望に輝きながらも、長年の受験勉強から来るものか、どこか不健康そうにやつれていた中、この男だけは違った。
六尺を優に超える長身を、分厚い筋肉が包み込み、目には知性の光は一切無く、凶暴そのもののオーラを辺りに放射していた。どちらかというと、人間というよりマウンテンゴリラに近い生物に感じた。
私は最初、彼はセレクションで入学したラガーマンか何かかと思い、それとなく彼のプロフィールを聞いてみた。
彼の名は工藤鉄也と言い、広島出身、某実戦空手の修行中と教えてくれた。
この時、私はまだ、工藤のキャラが巻き起こす、トラウマを受ける程の恐ろしい現象に出くわすとは、当時は予想だにしなかった。

工藤という男はとても変わった男で、一言で表すと空手の鬼。
空手はメチャクチャ強いが、それ以外は何も出来ない男であった。これは空手の組み手をしすぎた後遺症であろうか、勉強もからっきし出来なかった。
私達はM大の法学部法律学科であったが、仲間内では彼は法学部道路標識学科だというウワサが流れ、また、入試で試験官を脅してきたという話も、まことしやかに流れていた。
しかし、空手にかける情熱は本物で、休み時間や授業が終わった後等、私達のような弱い者を引き連れ、本人持参のキックミットを私達に持たせ、熊の様な正拳突きや、馬の様な中断回し蹴りを、虎の様な気迫を持って連続で繰り出し、私達を恐怖に陥れた。(今から考えると、幽霊よりこちらの方が怖かった気がする。)

このような流れから、彼は某実戦空手の同好会を造ったのであるが、彼の舎弟分と化した私達は、当然の如くこのメンバーに組み込まれ、鬼の様な彼の指導の下、私達数人は不本意ながら空手の道を歩む事となった。

この同好会のメンバーの1人に、東京郊外の大きな材木商の息子がいた。
その家は由緒正しき旧家で、非常に大きな屋敷に彼は住んでいた。
ある時、私達はタダ飯を求め、彼の屋敷で合宿することになった。当然、工藤も含めて。

それは、夏休み前の7月の暑い日だったと思う。
工藤の指導の下、練習を行い、私達待望の豪華な食事の後、何かしようということになった。
その時、その材木商の息子がポツリとこんな事を言った。
「さっき練習を行った場所の裏手に、板で打ち付けられた古い家があったろう。実はそこは、戦争前に俺のじいさんの弟が家族と共に住んでいた所なんだけど、一家が結核で死に絶えた所なんだ。しかし不思議な事に、夜中に通ると、人の話し声が聞こえてきたり、人影を見たという奉公人が多くいた為、板を打たれ、あまり近寄らないように言われた所なんだ。」
小心者の私達は、それを聞き、ビビリ上がった。しかし、工藤だけは妙にハイテンションになり、今からそこに行こう行こうと言う。
当然、私達は反対であったが、下手に逆らうと後で何をされるか判らないので、渋々付いて行く事にした。

夜、改めてその家を見ると非常に不気味で、全ての者を拒むようなマイナスのエネルギーが渦巻いていた。
このような事を考えていた時、突然、「オシャー!」という掛け声と共に、工藤が打ち付けてある板を、蹴りで破壊し出した。オシャー、オシャー、オシャーと、瞬く間に全ての板を壊し、通常であれば絶対に開けられないような戸を、持ち前の馬鹿力でこじ開け、みんな俺の後に付いて来いと言う。
非常に恐怖を感じていた私達であったが、それ以上に恐ろしい工藤の命令だったので、渋々入って行く事にした。

中は非常に暗かったが、月が出ていたし、そろそろ目も慣れてきていたので、ぼんやりながら中の様子が見えてきた。
最初に入った所には、かまど等、調理する土間があり、私達は工藤を先頭に土足のまま家に上がりこんだ。
どんどん奥へ入って行ったが、3つ目の部屋の所で、私達は凍り付いた。
見ると、そこには、埃が堆積された5人分の布団が敷いてあり、それがまた妙に生々しく、一層の不気味さを助長した。
その時、メンバーの1人が、「ギャー!!」という叫び声を上げ、ヘナヘナと腰砕け状態になってしまった。
パニック状態になりながらも「どうしたんだ!?」と聞くと、彼は「に、人形、人形…。」と、床の間を指差しながらアワアワしていた。そして、私も見てしまったのである…。
床の間には大きな市松人形が飾ってあったのだが、その人形の目が光っており、そしてニヤッと笑ったのである。
私達は、「ワーッ!!」と言いながら、工藤共々その家を飛び出し、慌てて母屋へ帰って行った。そして、私達は恐怖に震えながらも、明日の練習がある為、眠りについた。

ショックな事を経験したためであろうか。私は眠りが浅く、午前2時頃ふと目が醒めた。
横を見ると寝ているはずの工藤がいない。トイレにでも行ったのだろうと思ったのだが、なかなか帰って来ない。私は皆を起こし、工藤を探そうと話した。
母屋の中をくまなく探したが、工藤の姿はどこにも無かった。私達はもしやと思い、外に出てみた。すると、例の古い家の方から「オシャー」という工藤独特の掛け声が聞こえてくる。
私達は怖いながらもその家の中に入って行った。
すると、「オシャー!」、ドスン、「オシャー!」、ドスン、「オシャー!」、バコン、という声と音が響いて来る。奥に入って行くと、工藤がどこかで拾って来た荒縄で、敷いてあった布団を大黒柱に巻き付け、中段回し蹴りを繰り出していた。そして、なんと例の人形も荒縄で吊るして、工藤の上段回し蹴りの標的にされ、バコーンという音を響かせていたのである。
それと共に、悪霊の咆哮のように、家全体がオーンというような恐ろしげな音を響き渡らせていた。
私達は慌てて工藤の腕を取り、その場から連れ出し、なぜそんな事をしたのか聞いてみた。
すると彼はいつもの無表情な感じで、「いやー、2週間後に試合があるからな。ちょっと焦っていて」と言うのである。
いくら試合が近いとしても、真夜中に、しかも他人の敷地内、それに死者を冒涜するという、非常識極まりない工藤の行動に対し、私達は、きっと大きな災いが降りかかると思っていた。

その後、やはりあったのである。

工藤は、ある理由で下宿先を追い出された。
その理由というのは、借りていた部屋に彼はサンドバッグを吊るしていたのだが、あまりにハードに蹴った為、天井が抜け、それが原因で追い出されたらしい。そして、次の下宿先が決まるまで、工藤は材木商の息子に頼み込み、例の古い家に1ヶ月ほど住まわせてもらったらしい。

世には、世間の常識では計れない、恐るべき男がいるものである…。
日本一の悪口男と悲しき死霊
2008年11月14日
驚いた。5年振りに復活した芋焼酎「俘(とりこ)」が入荷し、これを5人位で飲んだのだが美味すぎる。感動のあまり、一同しばし無言。
まず先にガツン系の深い芋の味わい。次にバランスの取れた静かな上品さ。そして最後に爽やかに味がフェードアウトしていく。口の中で3段階に変化するのである。見事な芋焼酎である。

感動のあまり、過去に出合った恐るべき記憶が甦った。

それは、私が大学生だった頃の話である。その頃、私は友人達と軽いノリで法律家を目指し、ある法律研究室に所属していた。その時、前世での悪しき因縁の為であろうか、2人の個性的な男と出会った。1人は、今、ある地域で楽しく公務員生活を満喫している松崎柴男。そしてもう1人は、今は亡き宮川君(仮名)である。
松崎は今でも非常にチャランポランで、自分はいかに仕事をしないか、いかに仕事場を退廃的な環境にするかに執念を燃やす男である。何しろ、その職場では、松崎が6人いると日本の公務員制度は崩壊すると言われる程、凄いのである。
また、人の悪口を言わせたら日本一。ツービート時代の北野たけしも裸足で逃げ出すとまで言われた男である。現に、私の結婚式は彼にテーブルスピーチを頼んだ為、危うく結婚が破談になりかけ、親戚中からは犯罪者扱いを受け、近所の間では、それから5年間、村八分状態となったのである。
この男と、少々暗いが非常に真面目な宮川君と私は、合同の勉強会を開いたり、学食へつるんだりと、多くの時間を共に過ごした。

私達が大学4年の時の夏休みだったと思う。非常に悲しい知らせが研究室に届いた。宮川君が、某県のS湖で水泳中、心臓麻痺で帰らぬ人となってしまったのである。
私はとてもショックを受けたのであるが、松崎といえば、いつものように毒舌を吐きまくり、非常にタフな精神の持ち主であることを証明してみせた。

この後、精神的に勉強する状態で無かった私は、帰省し、少々のんびりとすることにした。
何ヶ月振りかの実家である。暗い心を引きずりながらも、いくばくかの開放感を持ちつつ家に入ると、そこには弟の知り合いの女性霊能者が遊びに来ていた。

私もオカルトには少々興味がある為、いろいろと話をさせていただいたのであるが、彼女は話の途中で、とても深刻な表情でこう言った。「あなたの友人で、水の事故で死んだ人はいない?」その後も次々と宮川君の死の状況を言い当てていったのである。私は、彼女の「目に見えないものを正確に当てる力」に驚いてしまったのであるが、そんな私に彼女はこう言った。「この人は助けてほしくて、あなたにすがって憑いているわよ。」私もこれにはビビりまくり、彼女に除霊をお願いし、宮川君の霊を外してもらった。その後、彼女は私に「この霊は、あなたを頼りにして来ているから、出来れば毎日この人の冥福を祈ってあげて。そうすれば、あなたを助ける霊となるわ。」私はその時、彼の冥福を毎日祈る決心をした。

その後、私は東京へ戻り、宮川君に憑依されていたことを松崎に話したのだが、彼はまるで鬼の首を取ったかのように喜び、これについてのギャグを連発した。
それもこの時だけでなく、話をするとすぐ宮川話である。
例えばこうである。松崎が真剣な表情で「世界3大悪霊って知ってるか?」と聞いてきた。私が知らないと答えると、彼は得意気にこう言うのである。「サタン、金毛九尾狐、そして宮川の悪霊。」
この話を彼がした時は、6~7人で話をしていたのであるが、大ウケであった。
こんな事もあった。私達の大学は駿河台にあったのであるが、6~7人で学食に行き、メシを済ませ、図書館までの暗い道を歩いていた時、松崎が「宮川の霊が追いかけて来る!逃げろ!!」と急に走り出し、私達もそれにつられ走ったのであるが(これも松崎流のジョークである)、このような不謹慎な言動の連続であった。

当然、私も宮川君の冥福を祈ることなどはせず、月日は流れ、翌年の夏休み、また実家で霊能を持つ女性と話す機会があった。その時、彼女は非常に深刻な感じでこう言った。「友達の霊は、また戻って来て、あなたにまた憑いているよ。彼が言うには、いつも悪口を言うので大変怒っていて、すごい悪霊になっているよ。」そして、これから海や湖で泳ぐのはやめた方がいいと忠告された。

それから現在まで、私は一度も海・湖はおろか、プールにも行っていないが、松崎といえば、毎年夏になると家族を連れて、ヒャーヒャー海や湖などで遊びまくっているらしいのである。

もし、今でも宮川君の霊がいるなら、松崎の方へ行ってほしいと思う今日この頃である。
エロ本を見る大悪霊
2008年05月24日
ちょっと古い話になるが、私が学生の頃ファンだったレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが来日した。
私はそれを見て、月日の流れの恐ろしさを実感した。
あれほどカッコよかったジミー・ペイジが、別人の様なルックスになり、まるでドクター中松氏がそこに居るかの様な錯覚に陥ってしまった。

本題に入るが、また霊感の強い林田君の話である。

彼は今、千葉にある某醤油メーカーで働いている。そこは小規模ながら、江戸の末期か
ら続く伝統ある醸造所である。
古いだけあって、出るのである。例のものが。
林田君がよく見るのは、大正時代っぽい服装の労働者の霊。多分、自分が死んだ事に気付いていないらしく、未だにその場所で働いている。(このような根性の座った人々が、明治からの急激な経済発達の大きな原動力になったものと思い、この話を聞き、私は何か非常に考えさせられるものがあった。)

このようなタイプのものは安全パイで、蔵元の風物詩のようなものである。
しかし中には、非常にタチの悪いヤツもいて、しかもそのような類のものに限って力量を持っており、とても危険なのである。

彼の職場の霊の親玉は、不幸なことにその悪いパターンで、林田君がそいつに苦しめられていた話を今回は書きたい。

非常にベタな話で申し訳ないのだが、実は彼が入社する前に、失恋が原因で、醸造蔵で首を吊った若者がいたのである。林田君の話によると、その若者は非常に念が強い上に、この世に対する未練も強かった為、大悪霊になってしまい、その近隣での邪霊のトップとして君臨していたのである。
そのような事が原因となっていたからだろうか、この職場は非常に事故が多く、また離職率も非常に高かった。
特に若者の霊については、霊感が全く無い中年男達も見る人が続出したりと、大変な状態だったのである。
会社としては、これに対して、神主を呼んで祈祷してもらったり、坊さんを呼んでお経を唱えてもらったりと、色々行ったが、殆ど効果は無かった。

林田君と失恋霊は、最初殆ど関わりが無かったのであるが、ある時を境にしてその霊の嫌がらせが林田君を中心に行われるようになった。
その事件とは、5年前の日曜日、林田君がやり残した仕事を片付ける為、1人で醸造蔵へ入った時、その霊と出くわした。
その霊は彼を見て、声は上げなかったが、腕を大きなジェスチャーで広げて、非常に驚いた表情で彼を見つめたという。
林田君は、ボディービルで体を鍛えており、ゴリラの様ないかつい顔をしているのだが、そのようなムサイ男が、休日で人が来ないと高をくくり、のんびりしていた霊の前に現れたので驚いたのであろう。そしてこの事が悪霊としての彼のプライドをズタズタにしたらしく、陰湿な嫌がらせが始まった。

まず、毎日のように林田君の机の上に、ご丁寧に2匹分のネズミの切断された頭が置かれ続けた。
また、搾り用の機械に、彼は足を挟まれ大怪我を負ったのであるが、その横でその若者の霊がニヤッとした顔で佇んでいたり、何かと林田君の前に急に出没したりと、非常に涙ぐましい努力で林田君に嫌がらせを続けたのである。(特にネズミの件については、蔵からネズミが減り、蔵人達は大いに感謝したらしい…)

これに対し、林田君は塩をまいたり、全国の有名神社のお札を貼ったりと、報復措置をとったりしたのであるが、どうも決め手に欠け、それどころか失恋霊の対抗策もよりグレードアップされ、どこからか小汚いじいさんの霊をたくさん連れて来たり、林田君の職場での人間関係が異常に悪くなったりと、大変だったらしいのである。

林田君というのは、依怙地で偏屈な性格を持っている男であるが、妙に計算高く要領が良い所もあることもまた事実で、ある時から急に方針を変えた。
その方針とは、悪霊に迎合するやり方で、古くから居る先輩職人の方から、生前のその男の女性の趣味を聞き出し、彼が首をくくっていた場所へ、週に1回位のペースで、セーラー服のモデルのエロ本と日本酒を奉げたらしいのである。

それから、林田君の周りはとても平穏になり、快適な職人ライフを満喫することが出来るようになった。
それは今も続いているという。
このような一連の話を聞き、人間というものは、死んだとしても、そう変わるものではないなと、しみじみ考えるようになった。
呪われた暴力教師
2008年02月15日
  この話を皆様にお伝えする事に、少々戸惑いをおぼえます。
というのは、あまりにも恐ろしい話すぎるからです。しかし、友人達から、ぜひこの話を妖怪新聞に載せてくれという声が多い為、気力を振り絞り、皆様にお伝えさせていただきます。

恐ろしすぎる為、酒の力を借りなければなりません。コバンザメという芋焼酎を飲んでいます。淡麗な風味の中、上品で柔らかい味わいは、いかにもこれから人気の出そうな味わいで、早くもこの酒のファンになってしまいました。興味のある方は、妖怪酒店へ問い合わせてみて下さい。

前にも書きましたが、私の出身高校は、全県の不良達が集まったS校という所ですが、今と違い、当時は甲府の中心地にありました。
この高校はとても不思議な所で、入学してから、一般の生徒達は殆ど勉強らしい勉強もせず、また、何が原因か判りませんが、人の精神を荒廃させる不気味な磁場のようなものがありました。
少々、人間的に問題のある者が入学したとしましょう。その者が卒業する頃には、近所で有名な暴力人間に育つというパターンが多かったと記憶しております。
このような所ですので、殆どの生徒達が、いろんな暴走族の構成員となっており、日夜、校内で抗争を繰り広げておりました。
このような生徒と対する為、先生方もそれ相応の方々が揃い、私の2年時での担任教師は、1年を通し一度も授業をせず、女生徒と話し込むという、少々変わった教育理念を持たれた方でありました。
また、新任の先生が来られ、初めての挨拶の時に、「いいか、俺が気に入らなければ、いつでも勝負をしてやるからな。」という極めて個性的なスピーチをされた方や、生徒が50m先で目が合ったのに挨拶をしないという、ただそれだけの事で、グーパンチで制裁する、躾教育に極めて熱心な先生もおられました。
蛇足ですが、このような所に入学する前、気の弱い私は、まるで少年院に収監されるような恐怖感を持っておりました。幸い、私はずっと真面目を通しておりましたので、近所の方々から模範囚と呼ばれ、非常に高い評価を得ていた事は今でも誇りに思います。

個性的な先生が揃いのS校ですが、特に生活指導をされた沢田先生が関わった、恐ろしく不気味な出来事が今でも印象に残っております。
先生は元々、体育教師をされておりましたが、相当昔の教育を受けられたのか、軍隊式の指導をされておりました。「キヲツケー」「レイ」とか、上官が部下に命令を下す時のような発声で、私共をよく指導されていました。
私共の高校は、バイクに乗ることは禁止となっておりましたが、その規則を守る者は皆無で、しかも乗る全員が荒くれ運転の常習者でありましたので、当然の如く毎年数人が交通事故で亡くなっておりました。
2ヶ月間で3人がバイク事故で死亡した時の事です。
全校集会で、沢田先生が「いいか、3年の田中君(仮名)がバイク事故で死んだ。みんな気を付けろ。」というような説教をまず行い、それから約1ヶ月後、また1人死んだ時、同じく全校集会で「2年の望月(仮名)が死んだ。もういいかげんにしろ。」というような説教を、今度は呼び捨てで行いました。
そうしたら2週間も経たない内に、またもやバイク事故で死んだ者が現れました。この時の集会で、沢田先生はマイクを握るやいなや、甲府市中に響くような声で、「ホレー(ほら)、またバカが死んだ。」と絶叫しました。
一瞬、その声で不良達は静まり返りましたが、その中から、すごい男が、やおら先生方の方に向かって歩きました。その姿は、このS校の中では自然ですが、外部者から見ると極めて異様で、まず頭髪は見事なリーゼント。頭髪が約50センチ位、雄鶏のトサカのように水平にそそり立っており(日本の建築技術の髄を集めても不可能かと思う程の素晴らしい固定技術でした。)、学生服は長ラン。そして、シンナーの常習者である事が一目で判る程、指先をはじめ、全身が震えており、この者が司会者用のマイクを取るやいなや、地獄から振り絞るような声でこう言いました。
「オレは死んだヤツの友達だけど、沢田先生がヤツを馬鹿と言った事を謝ってもらいタイ。」
それに対し、先生は「俺は馬鹿と言ってない。」と言いました。
我が校の生徒は1分前の事は忘れてしまうタイプでしたが、30秒前の事だったのでギリギリ憶えていて、あちこちから「言った。言った。」という野次が飛びました。
そうしたら先生はまた、「先生は言ってない。」と絶叫されましたので、全校生徒が立ち上がり、手拍子を入れながら「バーカと言った。バーカと言った。」と、まるで津波のように、シュプレヒコールを行いました。
その時、先生は観念したのでしょう。「悪かった。」と一言発しました。
その騒ぎはそれで収まったのですが、その時、生徒の何人かは見てしまったのです。先生の横で、今回死んだ前田君(仮名)と、前回呼び捨てにされた望月君(仮名)が嬉しそうに手拍子を打ち、「バーカと言った。」コールを行っていた事を…。

2,3日後、地方紙の投稿欄に、こういう題の投書がありました。
「この生徒にして、この先生あり」
オカルトマニアvs恐怖の心霊写真
2007年09月13日
「風と水と大地の力」というブドウ果汁がある。元々、ワイン醸造用の果汁と聞いているが、味が濃くてうまい。
また、みのもんたの「おもいっきりテレビ」でも紹介されるように血圧を安定させる効能があるらしく、すこぶる健康に良い。 私も毎朝、ぐいっとこれを飲むのだが何となく調子が良くなった。
この果汁は、ブドウの名産地、山梨県勝沼町で造られるのだが、これを飲んだ時、勝沼で始まった過去の忌まわしい出来事を思い出した。
もう、かれこれ10年前になるのだが、店舗のレイアウトを変えようとして、参考となりそうな資料集めにバシバシ写真を撮りまくっていた。
その中の1つ、勝沼にある日本最古のワインセラーというふれこみの所で写真を撮った時の事である。そこは、畑のような所の地下にある所で、薄暗く、何か牢獄を連想させる雰囲気の所であった。そこでバシッとフラッシュをたき、シャッターを切った。
それからである。悪いことが立て続けに起こった。体調が悪くなる。仕事でのミスが重なる。そして、事故に遭いそうに何度もなる。どうしたんだろうと思いながら、出来上がった写真に目を通した。その中の1枚、あの古いワインセラーで撮った写真に、煙のような何かモワモワしたものが写っており、よーく見るとガイコツのような顔が浮き出ていた。これは不気味だと思いながらも、その写真はそのまま放っておいた。
翌日、その写真を見た時、戦慄が走った。明らかに写真が変わっている。ガイコツに肉が付いてきて、少々ミイラっぽくなってきているのである。前日には見る事が出来なかった体も浮き出てきていた。この写真は生きている。そして体調不良等の諸々は、こいつが原因である。と確信した。
本来、このようなリアルな心霊写真はお寺等で供養するのが本筋だと思うが、その時私は、これをある人物に託そうと思った。その人物とは、宗教やオカルトの知識が豊富で、仲間内で随一の霊能力の持ち主と言われる林田君である。
彼は神社等へ行くと御神体を見たり、天狗を見たりと、その他多数の心霊体験の持ち主だった。
私が彼に電話で事情を説明すると彼はすっ飛んで来た。しかも今まで見たことの無い程のハイテンションであった。
彼は件の写真を手に取ると「オオッ」という歓喜の声を上げ、「これこそ本物だ!」という御託宣をのたまった。その声につられ、私も写真を見たが、それは確実に成長しており、より肉付きが良くなり、目には怨念の炎がともっていた。
林田君はというと、持参した白い和紙の上に、その写真を喜々と置き、剣印を組み突如、「ノウマクサマンダ バサラ ダンカン」と大声で唱えだした。暫らくした後、「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」とか色んな仏教系のものを唱えだし、その後「トホカミエミタメ」とか「ふるべふるべ ゆらゆらふるべ」とか明らかに神道系のものを唱えだした。ここまでは私も良いと思っていたのだが、その後、素人の私でも、これは明らかにダメだろうと思う事をやり始めた。
コップに水を汲んできて、その水を指先につけ、写真に水を飛ばしながら彼はこう言い出した。「主と精霊の名においてサタンよ去れアーメン」そして彼はその後「ギャー」と苦しそうな声で叫んだ。林田君に言わせると、悪霊の苦しみの声を代わりに発したと言うのだが、この悪霊と思われる者は極めて日本的な雰囲気のもので、これにサタンと名指しする事はどうかと思われたし、聖水的に使用した水でギャーと叫ぶのも、これはバンパイアじゃあないんで、ちょっと違うんじゃないかと思った。
一連の行法が終わった後、私は恐る恐る写真を覗いてみた。ギョエー!悪霊が極めて怒っている!!顔と体は、くっきりはっきり写っており、これは明らかに戦国時代かなにかで惨殺された武者の霊と確信した。そしてその目には最大限の怒りの炎がともされており、大魔神のような迫力が感じられた。林田君も異変に気付いたらしく、どこか涙目になっており、私が「もう止めよう」と言うと、彼も「うん」と素直に頷いた。
その後、その写真とネガを近くの寺院へ持って行き供養してもらったが、林田君と私は3日程、原因不明の熱にうなされ家で寝込む事となってしまった。
皆さん、生兵法はケガのもと、気を付けて下さい。 
やさしい怪猫
2007年02月19日
  ちょっと贅沢なウメ酒を飲んだ。「猫また梅酒」鳥取産である。これはあの有名な猫また梅酒で仕込んだもの。猫また焼酎自体五年熟成で少量生産のため、ウメ酒バージョンとなると限られた人だけの貴重な酒である。一言、うまいとしかない。梅の旨みが深く、ベースの焼酎が良質なためマイルドで後引く味わいである。これを飲みながら昔飼っていた不思議な猫のことを思い出した。
私の近所に菊男さんという事業家が住んでいた。この人はあるビジネスで大成功し、一時期は飛ぶ鳥と落とす勢いであったのだが、根っからの女好きが災いし事業は傾き借金まみれとなり、最終的には家を明け渡すはめとなった。近所の人々は「好色一代男」とか「女狂いのキクちゃん」とかいろいろ噂をしていた。私はというと、彼の人間の理性を一切かなぐりすて本能の赴くままに生きる姿に、本源的な人間のエネルギーを感じ、また女狂いは身を持ち崩すという教訓を、我が身を犠牲にしてまで示してくれる姿に感動した。
そんな思いを持っている私に対し菊男さんは憎からず思ったのか、甲府を離れる時、彼が大切に飼っていた老猫の面倒を私に頼んだ。この猫は年をとった、こぎたない白猫だった。少々迷惑のような気もしたが、生来不細工な猫が大好きで、これの名前が「ガンジー」という所も気に入り、この大柄な猫を飼うことにした。
ガンジーはジャイアント馬場さんのように動きが遅く、虎のような巨体にもかかわらずケンカは最弱で、近所のオス猫たちの「かませ犬」と人々から言われていた。しかし菊男さんの董陶を受けたやつだからだろうか、メス猫を見た時はすごいスピードでメスに突進する。その姿はディープインパクトのトップスピードを彷彿とさせるものがあり、まるでメス猫までテレポートをするかのような錯覚に陥いる。
話はちょっと戻るが、猫を飼うちょっと前あたりから私の母親は体調不良を訴えていた。医者へ行っても原因は判らず、いわゆる不定愁訴なんだろうと思っていた。
そんなこんなでガンジーとの楽しい交流の日々は流れ、飼い始めて約半年後とても悲しい別れが待っていた。
キキーッと車の急ブレーキの音が店の前の道路に響いた。私は慌てて店から飛び出したところ、そこに見たのは車にひっかけられ、くるくる回転するガンジーの姿でだった。見ると道路の向こう側にメス猫がヒョコヒョコ歩いている姿が見える。これに向って彼は走り出したのだろう。彼は車から致死的な衝撃を受けたにもかかわらず、私の方へふらふらしながらやって来た。その時おっとり刀で母親もやって来たのだが、ガンジーは今まで見たことがないすごい形相とシャーという威嚇音を私の母親に向かって行った。母親はすごい剣幕の猫の様子に唖然となっていたのだが、その時私は見た。母親の体からもくもくと薄い煙のようなものが立ち上がり、体から離れる様子を。それとともにガンジーの目から光が徐々に消え、ガンジーはゆっくりと倒れていった。
結局ガンジーは死んでしまったのだが、不思議なことに母親の体調はうそのように良好となった。
昔からかわいがった猫は家の者の厄をしょって死ぬとか、病気の身代わりになるとか言われているが、ガンジーは母親の病気の元を背負ってあの世へ行ったのかもしれない。今となっては家族全員がガンジーに感謝している。
おいらん淵と暴走族
2007年01月27日
  おもしろい酒を見つけた。古部(ふるべ)という名前の純米酒。ちょっと飲むと生もと純米のようだけど明らかに違う。もっと深く郷愁をそそるような懐かしい味わいである。聞くところによると、この酒は古代から生きている、とても優秀かつ強い酵母を使用しているという(そしてこの酵母の名はまだ付けられていない)。そして米は玉栄を低精米、米の地力を表現した見事な酒だ。
このノスタルジックな風味に触発されたのか私が高校生だった頃を思い出した。恥ずかしながら私の通っていた所は県内中のワルが集まるS高校という所で、男の80%が何らかの暴走族に属しており学校内で日夜グループ同士激しい抗争が繰り広げられていた。
今回語りたいのは、その時の友人であったF君のことである。彼はお世辞にも頭が良いとはとても言えないが、その鬼の様な激しい気迫と野生動物の様な強靭な肉体で、名うてのワル達の中でも一目おかれていた。
その彼が当時地元でおいらんの幽霊がよく出るという噂のあった「おいらん淵」の話を聞いた時、「オレ、おいらんに会ってみてー」ともらしたそうだ。それから夜8時となると彼は自分の舎弟分2人を連れて、彼の愛車カワサキマッハにまたがり午前2時頃までおいらんが出没するのをタバコをふかしながら待っていたそうだ。その様な行動を始めてからちょうど1週間目その事件は起こった。午前1時をちょっとまわった頃であろうか、道路脇の暗闇の中空にヒラヒラとくすんだ着物の様なものが舞っていたという。彼はそれを見た時「バンザーイ、やった!!おいらんだ」という歓喜の咆哮をあげ、自らのバイクをフルスロットルにしてその着物目がけて突進した。そしてその中空を舞うものに渾身の蹴りをたたきこんだ。バキという枯木が折れる様な音と共に、彼はバイクから投げ出され、ゴロゴロと彼は道路を転がった。彼は道路標識の1つをしこたま蹴ってしまったのである。彼はその時気を失ってしまい、舎弟達に抱えられ自宅へ連れていってもらったらしい。結果として彼の右足は骨折していたのであるが、その後彼は三日三晩原因不明の熱にうなされ意識が無い状態が続いていたらしいのである。
そして覚醒した時の第一声がこれである。「オレおいらんの着物がほしい。」一同唖然としたのであるが、その後判明したのがどうやらF君はおいらんから着物をカツアゲする為に「おいらん淵」へ行っていたらしいのである。彼の時空を超えたというか、常人の域をはるか彼方に超えた発想は超絶的としか言いようがなく、私はそれを聞いた時、おいらんの幽霊よりあんたの方がよっぽど恐ろしいわと、突っこみを入れたくなったのを今でも鮮明に覚えている。
竹中直人天狗様
2006年09月01日
仕事後、気になる酒を飲むのを常としている。仕事上これは必要なプロセスだと思うし、また知的好奇心を満たす、なによりの喜びでもある。
今日は石川の名酒「天狗舞」の山廃純米を飲むことにした。
今でこそポピュラーなものとなっているが、その昔は入手困難な酒としても有名であった。
過去何回か飲んだ酒なので、どこか懐かしく、学生の頃の友人と話をする如くの少々ノスタルジーを含んだ気安さがある。
この酒の名の天狗なのだが鬼・河童とともに日本三大妖怪の一つに数えられている。この酒を飲みながら、学生の頃、山で遭難した奇妙な出来事を思い出した。

「竹中直人天狗様」
今から20年以上前となるが山梨のとある山に私はちょくちょく一人でハイキングに行っていた。その山は自然の宝庫で猿の群れに出会ったり、鹿を見たりと、結構豪快な経験の出来る所で、私のお気に入りスポットであった。
その日もいつも通り杉林を散策していた。
すると突然、誰もいないはずの林の中から、野太い「ハハハハハハ」という笑い声が響いた。
今から思えば、あの俳優の竹中直人が威厳を込めた時の声音に似ていたような気がする。私はパニクってしまい、ほうほうの体で逃げ出した。
2週間後、あの笑い声は何だったんだろう。どうしても確かめたい気となり再びあの杉林に向かった。ちょうどその時、花粉の出始めで重度の花粉症患者の私はクシャミをしながらその場所に着いた。
そうしたところ、やはり聞こえてきた。迫力のあるそして威厳のあ竹中直人風の声で「ハハハハハハ」と大きな笑い声が…。
私はその時、結構ビビったのであるが、それよりハクションとその笑い声に負けないくらい大きなクシャミが出てしまった。そして、また「ハハハ」という笑い、私はというと、また大きなクシャミ。そして「ハハハハ」という笑い。
しかし、今度はその笑いに迫力がいくぶん失わせたような気がした。しかし私もまた大きなクシャミ。またハハハという笑い。私はハクション。ハハハという笑い。ハクション。しかしその笑いは無理して、笑っているような感じだった。その後、その林の中では結局私の豪快なクシャミだけが響くこととなり。私はなにか、その笑い声の主に悪いことをしてしまったような気になった。
その後、その林は「天狗のおどり場」と呼ばれていた所と聞いた。
ああ、あの声の主はもしかしたらと思った次第である。
竹中直人天狗様申し訳ありまでんでした。
ブルースリーと老婆の怨霊
2006年08月01日
なんだ、この味わいは。
古酒とも異なり、またノーマルな生酛系とも異なるこの風味。
はっきりいって今まで飲んだことのないタイプである。

この酒の名は櫻正宗・焼稀。伝え書きにより、100年前と同じプロセスの醸造法、そして注目すべきは、今は幻となった協会1号酵母を使用している点。
知的好奇心は大満足である。
この独特のクセはうまく文章に表現出来ないけれど、どことなくノスタルジーを感じさせ、文化の薫りを感じさせてくれる。
うまいまずいは別にして、御興味のある方は一度飲まれることをお勧めする。
この古典的味わいの酒を飲みながら、私が幼少期に出くわせた、今となっては不思議な古典的思い出を語ろう。

「ブルースリーと老婆の怨霊」
これは多分、私が中学生のころだったと思う。
その当時、映画で「燃えよドラゴン」が上映されており、全国的に一大ブルースリーブームが広がっていた。
私も御多分に漏れずブルースの真似をよくしていたのだが、そのような折、母方祖母が亡くなり、母の実家へ行ったのだが、不思議と泣いている人は誰もおらず、ことに同年代の私の従兄弟などは満面の笑みで不謹慎きわまりないものだった。
今から思うにそれは祖母のキャラクターからきたものも思われるが祖母は大きなダルマのような巨体に、いつも不気味な薄ら笑いをうかべ、下品な冗談を言っては、皆を煙に巻いていた。
母の実家は田舎の旧家で昔ながらの造りで部屋が20ぐらいある大きな家だった。
その夜、親戚中が集まったのであるが、皆は中央にある一番大きい部屋でワイワイやっていた。
私は退屈だったので、従兄弟とプロレスごっこなどをし、いつものようにふざけていた。
「おまえら静かにしろ、今日ぐらいはおとなしくしていろ」という、あるおじさんの一言で我々はほうほうの体で逃げ出し、一番奥にある部屋に入りこんだ。
実はそこは祖母が生前一番多くの時間を過ごした場所だったのだが、やはりいたのである。部屋の中央に、大きなダルマのようなシュルエットが。それは透明であったが明らかに、人の輪郭があり、しかも形状からいって祖母の幽霊に間違えないのである。
最初にそれに気付いたのは、従兄弟であった。彼は、これおばあちゃんじゃねえかと、とても嬉しそうであった。私もあっ本当だと思ったのだが、従兄弟は何を思ったのか、突然「アチョー」、なんと祖母の霊体に飛び蹴りをはなった。その後、二人はアパッチの攻撃のように、そのシュルエットを囲みぐるぐる回転しながら、次々と霊体にパンチや蹴りをくり出したのであった。
20〜30分それで遊んだ後、なにくわぬ顔でもとの大人たちの輪に加わり、その日はそれぞれ過ごしたのであるが、後から聞いた話だと、近所でおばあちゃんにつらく当っていたおばさん3人程が原因不明の熱病で倒れたらしいのである。私はこれは孫たちにされた仕打ちに怒ったのであるが、まさか孫を崇るわけにはいかず、近所のおばさんたちに怒りを向けたのではないかと今では解釈している。
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